最近の生活、自分にとってちょっと堪らない。
新聞、面接、或いは自分
外の世界は自由だけど、秩序がバラバラを感じだ。
それに、自由の名により、様々ありえないごとができだ。
これは自分だけでこの世を大きすぎの期待を与えるのか、
或いは軍事教育のくさいものか?
どうしてもわからない。
最近政府の対応は、実にがっがりしました。
しかし、自分は怒ると何にもできないと考えした。
ついに、新聞をやめる、いわゆる逃げたの行為。
おそらく、これも新聞は国民に嫌われたの原因である。
人生の進は止まった、これは一番見たくない状況であった。
この時に、あるセリフを思い出した:
「自由は進歩を遅くかもしれないけど、
自分は縛らせない。これに対しての専制は
ある時に十年の進歩を取れるけど、
不自由上は、自分の人格を失くしたかもしれない。」
それも正しいですね...
以前、拙者は「世界は自分を中心に回っていた人間」
というものだ。
今は以前より、もっともっと厳しいになるかな?
それも課題だ。
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